2011年5月6日金曜日

越後~弘前~角館 【其の十一】日本海(番外編)

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越後~弘前~角館 【其の十】鮫ヶ尾城:肆 の続きですが、ちょっと休憩。

ちょっとしたハプニングにより、かなり遅くなって直江津に戻り、食事でも…と思うも、駅の周りには何もない!
そう、あるのはホテルとNEWDAYS だけ…(あとで知ったのですが、徒歩10分くらい歩くと居酒屋さんとかが沢山あったようです…とほほ。)
ホテルのレストランは、向かう途中で店員さんが看板を片付けているのが目に入り断念。
仕方がないので、NEWDAYSでお土産を買いつつ、頸城の押し寿司と越後ビールを買い、寝台列車、日本海を待つ…待つ。

この日本海、駅の待ち合い所の終わり時間(一応開けてくれているが)の後に来るという旅情溢れる列車。
いかにして暇をつぶすか…と考えている長い時間も過ぎ、列車が到着。
旅の友、折りたたみ自転車を担いで乗り込み、車掌さんに置き場を尋ねるも「うーん、わからないね。空いている場所に置いておいて」と。
(置いてくれる場所があると、使った方のブログには書いてあったのだが、途中駅だから無理だったのかなあ)
えっちらおっちらと寝台車の細い道を自転車を運び、シャワー室前の荷物置きにそっと置く。

さあ!私のB寝台の寝床はどこ?!とたどり着くも、弐段ベッドの二階席。
どうやら他の皆様は、女子高校生三人。
真っ暗中、そーっとはしごを登り寝床に到着…が…。
女子高校生達よ。そこは、私の荷物置き場です(弐段ベッドのサイドの荷物置きに荷物が置かれていたw)
そーっと荷物置き場のセンターに荷物をよけて、自分の荷物を置く。
お腹がすいたなあ…と、もそもそと越後ビールと押し寿司で一人乾杯。
備え付けの浴衣に着替える元気もないので、もそもそと身軽になって就寝…。

明け方。
女子高校生たちは、弘前手前の駅で降りて行く。準備がにぎやかであったが、空いた寝台がちょっと寂しい。 
禁煙ではなかったので、どこからともなく、煙草の匂い。
カーテンで遮断して、弘前まで…寝てはいけないw

そろそろ、弘前に近くなったかな?と言う所で、身支度。 
どうやら、弘前はよく晴れているらしい…。よかった。

無事に弘前着。
こうして、自転車をかかえて、初の青森の地に着いたのでありました。 


2011年5月5日木曜日

越後~弘前~角館 【其の十一】鮫ヶ尾城:肆

越後~弘前~角館 【其の十】鮫ヶ尾城:参 の続きになります。

※一気に残りをまとめましたので、記事が長いです。
 

前回 二ノ丸が見つけられなかったので、今度こそ!ということで、本丸を離れ、二ノ丸へ向かいます。

前回、二ノ丸に行き着けなかったのは「事前の調査の甘さ」「予想以上の薮」の二点からでした。
今回は、時期的に草も少なく、事前に地図も見てきたのでバッチリです!




せっかくなので、復習も兼ねて地図を。
地図上の現在地が下の写真になります。↓



実は、前回はここの写真の場所にまで出てしまったんですね。
で、手前の道を左に曲がってしまって、三ノ丸と大堀切と南登城路に出てしまいました。
正しくは、階段を上がったところ…写真の中央辺りの平らな場所(右に進むと腰曲輪)から左に入らないと二ノ丸に行けなかったという…。(薮ってましたけど)



気を取り直し、二ノ丸へ向かいます。
本丸の下をぐるりと歩きます。


途中、若干坂になっていたりする道を歩くと、開けた削平地が。


二ノ丸に到着です!
やったよー!来れたよ!



越後~弘前~角館 【其の十】鮫ヶ尾城:参

越後~弘前~角館 【其の九】鮫ヶ尾城:弐 のつづきになります。

やっと、ちらりと本丸が見えてきました!


天地人の名残がまだあります。
ただ、前回来た時は白っぽい旗だったような気がするので、新しくしたのでしょう。



前回登ってきた北登城路


 

前回大変な目にあった(笑)腰曲輪も草が無いとこんなに綺麗!
腰曲輪は、本丸-米蔵まで繋がっています。(本丸と米蔵の間には堀切がありますが…)



ちらっと、本丸の桜が咲いているのが見えます。
晴れていてよかった!



本丸への道を上ると、手前に細長く一段低くなっています。



本丸から春日山城方面を見て…うーん、どこだかわかりません。
写真に撮ってみたのですが、上手く写りませんでしたが、この日は天気がよく、直江津の海もうっすらと見えました。



八重桜が満開。



山桜の方は、ちょっと終わり気味でした。
毎年、勝福寺でおこなわれる法要の日の4/29辺りが満開なのだそう。



恒例(笑)の無理矢理パノラマ写真。



本丸から、米蔵を。
本丸との間に堀切があります。
降りて上ってをして移動するわけですが、非常に歩き辛いです(笑)
城だわ!っという気分になる瞬間です。



もう一回しつこく(笑)春日山城方面。
望遠レンズに変えてみましたが、わからない!
目印となるものが無いのでわかりません…。
聞けば、狼煙リレーの時は、狼煙が目印になってわかるそうです(笑)



本丸を降りて、米蔵の間の道…いや堀切に立って撮影。
右手側が本丸。左手側が米蔵。
見えませんが、正面が腰曲輪に向かっている形です。
この堀切は、ちょうど降りた辺りから腰曲輪に向かって数歩進んだ位置が一番高くなっています。



一番高いところから、腰曲輪方面を。
ちょっとわかりにくいですが、腰曲輪を分断するように、堀切が下まで走っています。



本丸を眺めてみるとこんな感じ。
結構深さはあります。



米蔵にも、立派な桜の木がありますが、こちらは終わり気味。
八重桜はちょうど良かったんですけどね…。



本当に、ささっと土を払うだけで、黒い焼けた米らしきものが出てきます。
目の当たりにすると「ここは、焼け落ちて落城したんだな…」と実感します。
焼けた米は、持ち帰りは禁止です。写真を撮るだけにしましょう。



鮫ヶ尾城ですが、斐太遺跡を含む一帯が、カタクリ群生地だそうです。
ちょうど、終わり気味でしたが、あちらこちらに紫色の花が咲いていました。
当たり前なのですが、お持ち帰りは禁止。


ここからは、ちょっとお馬鹿な事をしてみました。
題して「腰曲輪から米蔵の下を通って西の丸へ。そして戻ってこようツアー」
(長過ぎる)



腰曲輪から、本丸米蔵間の堀切を望む。


米蔵の下。ちょうど日影なので、カタクリがまだまだ沢山咲いています。
これもまた山城の楽しみ。


この道を右に曲がると、北登城路に合流する道です。
遠回りになりますが、緩やかに上る道なので、地面が濡れている時などは、この道が一番安全なのではないかと思っています。(管理棟の方にもこちらを薦められました)
あと、日当りが少し悪いのでカタクリが遅くまで咲いていました。
写真の左手に西の丸があります。


右手側が米蔵で左手側が西の丸です。
果敢にも西の丸に登ってみたのですが、登り口が見当たらず(笑)適当な場所から登った為に、降りる時に苦労しました。
殆ど手入れが入っていない曲輪です。


 さらに奥へと進みます。


米蔵の下をぐるっと回っていきます。
縄張り図をみると、米蔵や西の丸の裏手にも削平地の様な箇所がある様なのですが、 薮の中。
 

またもや本丸が見えてきました。
前回迷子になって登ったのはこの道でした(笑)



ちょうど、本丸と米蔵への登り口が。


堀切を降りると、腰曲輪にでます。
ということで、ぐるっと回ってツアーは終了。


腰曲輪から、本丸をながめるとこんな感じです。

やはり、こう見ると攻めにくそうな城ですね。




次こそは、二の丸・三の丸へ!




越後〜弘前〜角館 【其の九】鮫ヶ尾城:弐

越後〜弘前〜角館 【其の八】鮫ヶ尾城:壹 の続きになります。

基本的に鮫ヶ尾城の東登城路は、曲輪の手前に堀切があるという形になります。
よーく見ていると「あれ?この段々は曲輪っぽいかな?」という箇所は幾つか。

前の記事にも書きましたが、ひたすらゆるゆると曲がりくねった坂道を上っていきますと






道を遮る堀切8が登場。
降りるとき気をつけないと「おっととととー」となります。いや本当に。



さらにさらに、登っていくと。
(このあたりもよく見ると、削って平坦にしている場所が見受けられます)



一応、撮ってはみたけど


堀切って


わからないよ…


 ね…!!!


ということで、東一の丸から堀切7(でも看板はない)を眺めてみる。
堀切の向こうに小さい曲輪がありますね。



ということで、東一の丸に到着!
鮫ヶ尾城、本丸手前の曲輪になります。
ぐるーっとへたくそなパノラマ写真なんぞ撮ってみました。
前回は、東登城路を通らなかったので、初めての東一の丸。


東一の丸から直江津方面を…って、木で隠れて見えないし!
(なんとなく、向こうの山は見える…見える…)



ここまで来たら、あとは本丸に向かうだけ!



と、ここに横たわる堀切6



なんとなく…


わかるかな…(笑)


さて、管理棟で案内地図が貰えるのですが…、ここから「難所」と呼ばれる場所が…。


難所です。
一応、ロープを張ってくださっています。
写真で見ると「大した事無いな〜」と思いますが、結構大変でした。
本丸目前にして、何でこんなところ〜〜〜!!という兵の気分。



遠くに 看板が!



ついに!鮫ヶ尾城の本丸です…!
奥の方に、ちらっとみえる東屋。
今回は、二の丸は見つけられるのか?!

次回に続く!


越後〜弘前〜角館 【其の八】鮫ヶ尾城:壹

越後〜弘前〜角館 【其の七】春日山城:伍 の続きになります。

ようやく二日目…
今回の旅のメイン、鮫ヶ尾城になります。
前回は、9月。それはもう、薮!でした…。さて今回は…。

直江津のホテルをチェックアウトして、自転車をかかえて電車に乗ります。
今回は、北新井駅下車。
颯爽と自転車を漕ぎ…(迷っていましたけどね…)
 
トンネルから見えるは…。

大ケヤキ。
樹齢が400年くらいあるとかないとか。
ということは、御館の乱も見ていたのか?

まずは、前回いけなかった、勝福寺へ。

勝福寺は、鮫ヶ尾城の麓の居住区域のあったあたりに建つお寺です。
御館の乱で逃げ落ちた景虎勢の供養塔などがあります。

館ノ内。
お寺の裏手?に、館跡だったのではないかといわれている場所があります。

 上杉景虎公の像。
関東一の美男子だったそうですよ。

上杉景虎公の供養碑。
お墓じゃなくて供養碑です。
景虎公のお墓は、言い伝えでは某お寺にあるといわれているのですが、探しても見つからないそうで…。
自害した後に、景勝勢に首を持ち帰られているので、きちんと弔われないままなのか…。なんらかの理由で見つからないようになっているのか…。
謎です。

勝福寺より更に山側へ!
管理棟下の駐車場に自転車を置いて、さあ出陣!

の前に、管理棟で管理人のおば樣方にお茶とお漬け物の歓迎を受ける…(笑)
ちょこっと荷物も置かせていただきました。(重いんですもの!)

 案内看板。
義父 上杉謙信と景虎とのことや、御館の乱のことなど。
(景虎公は、もともとは相模の北条家から人質に越後に来たのですが、気に入られて養子になりました。)

 鮫ヶ尾城の城跡図。
この絵を描いた方は、既に亡くなられているそうで、越後の城の図を集めた画集が数年前にでているも、どこも完売とか…。
(探しております〜。見かけたら…)

 今回は、東の登城道に繋がる淡水湖の脇を通るルート。

 降りるのも結構急なのです。
雨の翌日とかは、かなり厳しい。

人口の池だそう。皆さんつりをしてらっしゃいます。

 登る。

 こっちに進んでください。

 登る。
(暫くはこんな道が続きます…)

ここは、斐太遺跡(弥生時代)でもあるのです。
環濠の跡なども見れますよ。

ようやく、東の登城道にやってきました。
国の指定の遺跡なので、植物の採取は禁じられています。

 5/10の場所。
雪のせいなのか、木がぐにょっと曲がっているのが、ここの木の特徴です。

まだまだ歩きます。
一枚前の写真を見ていただいてもわかるように、道がまっすぐではなくて、ぐねぐね曲がっています。
山を利用しているので、曲がっているのもあるかと思いますが、曲がった道にすることで、敵の侵入があった際に、攻めにくくしているのもあるそうです。

 いろんな花も咲いていて、なかなか楽しいです。
(ぜーぜー言いながら登っていますけどね…)


大堀切6地点。
堀切というのは、山の尾根などを堀で分断して敵からの侵入を防ぐ山城の防御手段です。
曲輪の近くにあることが多いです。

 向かって右手側に伸びる堀切…。ってわかりませんね(笑)

こんな感じです。
今は草や木が生えていますが、実際に城として機能していた時は、草木のない状態だったはずです。
(左手側に伸びる堀切の写真は、見てもなんだかわからないので省略)

 さらに進みます。
右側が高くなっていますが、小さな曲輪が点在していたらしいとのこと。
途中よじ上ってみましたが、薮で何が何やら…。
左側は、草木で見えませんが、斜面です。落ちたら危険。

 このあたりから、登りがきつくなってきます。
道も更にぐねぐねと。

上の写真の道もこんな感じで、直角に曲がったりしつつ…。

 こちら、大堀切5。
右に分岐しているように見えるのは道ではなくて、堀切です。
進む道は、左へ行く道です。

 右手へ伸びる堀切5。これはわかるかな。
落ち葉で埋もれていますが、結構深いです。

 左手に伸びる堀切5。

 こうなっています。
山の斜面に沿って、ずーと下まで繋がっています。


 平らな道を歩いたり…。

ちょっと坂になっている道を歩いたり…。

この上は、たぶん曲輪が点在していたのではないかと…。

 登ったり…。
 写真に代わり映えがなくなってきましたので、その2へ続きます。

 ちなみに、まだこの地図の堀切8にまで行っていません…。

 (2013.3.8記)