2011年5月4日水曜日

越後〜弘前〜角館 【其の二】林泉寺

20:00 Posted by たか No comments
越後〜弘前〜角館 【其の一】御館 の続きです。

御館から自転車を元気に漕いでいたのですが…直江津で頂いた地図というのが、直江津付近で終わってしまっているという素敵な状態でして、またもやiPhoneのマップを利用して春日山城に向かうという自体になりました。
本当に、iPhoneがないとダメな人になりそうで怖い。(一応、地図は読めますが地図が無ければ意味が無いです。)




なんとか、加賀街道やら違う道やらを経由して春日山城の看板を発見。
途中の道で右に入れば、春日山城跡ものがたり館に行けたようなのですがスルー。

 春日山城が見えてきました。(このあと、若干迷子になりました)

折角自転車なので、林泉寺へ行こう!と、林泉寺へ。
(林泉寺のバス停で降りても、林泉寺へ行くには、そこそこ歩かないといけません)



杉の街道を走り抜けると…
入り口です。奥に駐車場があるのがチラリと見えます。結構広い駐車場です。


 案内板によれば、林泉寺は(検索すると、米沢の林泉寺が上に来る事が多いですが…)上杉謙信公の祖父の越後守護代長尾能景公が、父 重景公の十七回忌にあたって、長尾家の菩提所として建立されたとのこと。
謙信公が七歳で預けられたお寺でもあります。
案内板の後半に「府内守護代上杉氏の菩提所 至徳寺と並んで共に栄えたが…」となっていますが、至徳寺は御館の乱の際に焼失してしまったからでしょう。

入り口で、お金を払って入ります。大人500円。
係の方の後に、天地人のポスターが!写真を撮りたい気持ちをぐっと我慢…

 林泉寺の惣門。春日山城からの移築と伝わっているそうですが、奥に見える山門の方に皆さん惹かれて、こちらを見る方は少なかったです…。

林泉寺山門。手前の緑の部分は、ショウブなどが植わっているようでした。
山門は、大正時代のものとのこと。左右に仁王像が。


 謙信公揮毫の書と伝わる山門の額。反対側には「第一義」という額がかけられています。
山門にかけられている額は複製ですが、 林泉寺の宝物館に実物が展示されています。


本堂の上には、家紋が四つ。上杉、堀、松平、榊原の家紋が並びます。
写真だと殆どわかりませんね…。


本堂の左奥には、謙信公の木像がいらっしゃいますので、頑張って覗き込んでみてください。(普通に参拝していると、気が付かない可能性も…)



本堂の左手に御墓所への階段があります。
全部回ると、意外と距離がありました…。




謙信公の御墓。写っていませんが、左手の方に、川中島合戦の慰霊塔があります。
右への道を進むと…(ここが意外と細くて歩き難い道)


長尾能景公、為景公の御墓。(右側の下は池なので、ちょっとドキドキ)
こじんまりとしています。「意外と地味だね〜」と言っている方もおりました(苦笑)

堀家、榊原家の御墓も回ると結構な距離になります。
写真には撮りませんでしたが、ちょっと変わった感じの御墓があったりしますので、お時間のある方は、謙信公の御墓だけでなく、ぐるりとしてみてください。
ちょうど、桜も散り際でしたので、新緑が気持ちよかったです。



本堂脇の枝垂れ桜は、見頃。



宝物館ですが、是非見ていただきたいです。

林泉寺は、地震による火災で本堂や山門が焼失しているそうですが、謙信公直筆の額や開山当時の袈裟、祈願書などは無事だったようで、こちらに納められています。
面白かったのが、謙信公が考案したと言われる陣笠?
矢などが当たっても、中の絡繰りにより笠が回転することでダメージが受けない…というもの。確かに原理は間違っていません…。しかし、実際どうだったのかな。
甲冑なども飾ってあったのですが、現物なのか複製なのか…?
毘や龍の軍記も展示してありましたが、大きい!これは、陣中に立てておくもので良いんですよね?よく、旗印として、背中に背負っていたりするけど…(多分違う)

上杉家だけでなく、堀家、榊原家のものもぽつぽつとあります。時代が新しい分綺麗。

撮影不可なので、小さいので良いので展示物のリーフレットないかなあ…とか思ったり。
(見当たらなかったのですが、あるよ!見たよ!と言う方、いらっしゃいましたら教えてください…)

そうそう、天地人やその他の撮影や上杉まつりでいらした芸能人の方の写真も展示してありました。上越の謙信公というとGacktさんなんだろうなあ…と、ポスターを見てみたり。

天地人のポスターですが、宝物館はいってすぐ、左手に、前期?後記?の二枚貼ってありました。入り口のポスターは前期だけだったんですけどね。
当たり前ですが、撮影禁止。売ってくれまいか?

天地人のポスターで、面白かったのが、カップルが前期ポスターを見ながら
「この人が謙信だろ?景勝がこの人でしょ?景虎ってこの人でしょ? あれ?違う?」
とやっていたので、さしていた人をふと見たら、北村さんでした。景勝の時は、誰を指差していたんだろうか…。

本堂側から山門。
木で見えませんが、こちら側の山門の額が「第一義」です。

謙信公の御墓ですが、遺骸は米沢の上杉廟所にあると言われています。
亡くなった際に、甲冑を着せて、その他の部分を漆を塗り、大きなかめに入れて封をして春日山城の 不識院に安置され、景勝が会津〜米沢に領地替えとなった際に、共に運ばれ 会津若松城、米沢城の城内に安置されたとか。
謙信公の「不識庵」という法号は、林泉寺八代の和尚に問うた「不識とはどういう意味か」というところかららしい…。

御朱印を集めていらっしゃる方は、頂けるので是非。

いよいよ、春日山城に向かいます。

(2012.05.15記)





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