2011年5月5日木曜日

越後〜弘前〜角館 【其の八】鮫ヶ尾城:壹

越後〜弘前〜角館 【其の七】春日山城:伍 の続きになります。

ようやく二日目…
今回の旅のメイン、鮫ヶ尾城になります。
前回は、9月。それはもう、薮!でした…。さて今回は…。

直江津のホテルをチェックアウトして、自転車をかかえて電車に乗ります。
今回は、北新井駅下車。
颯爽と自転車を漕ぎ…(迷っていましたけどね…)
 
トンネルから見えるは…。

大ケヤキ。
樹齢が400年くらいあるとかないとか。
ということは、御館の乱も見ていたのか?

まずは、前回いけなかった、勝福寺へ。

勝福寺は、鮫ヶ尾城の麓の居住区域のあったあたりに建つお寺です。
御館の乱で逃げ落ちた景虎勢の供養塔などがあります。

館ノ内。
お寺の裏手?に、館跡だったのではないかといわれている場所があります。

 上杉景虎公の像。
関東一の美男子だったそうですよ。

上杉景虎公の供養碑。
お墓じゃなくて供養碑です。
景虎公のお墓は、言い伝えでは某お寺にあるといわれているのですが、探しても見つからないそうで…。
自害した後に、景勝勢に首を持ち帰られているので、きちんと弔われないままなのか…。なんらかの理由で見つからないようになっているのか…。
謎です。

勝福寺より更に山側へ!
管理棟下の駐車場に自転車を置いて、さあ出陣!

の前に、管理棟で管理人のおば樣方にお茶とお漬け物の歓迎を受ける…(笑)
ちょこっと荷物も置かせていただきました。(重いんですもの!)

 案内看板。
義父 上杉謙信と景虎とのことや、御館の乱のことなど。
(景虎公は、もともとは相模の北条家から人質に越後に来たのですが、気に入られて養子になりました。)

 鮫ヶ尾城の城跡図。
この絵を描いた方は、既に亡くなられているそうで、越後の城の図を集めた画集が数年前にでているも、どこも完売とか…。
(探しております〜。見かけたら…)

 今回は、東の登城道に繋がる淡水湖の脇を通るルート。

 降りるのも結構急なのです。
雨の翌日とかは、かなり厳しい。

人口の池だそう。皆さんつりをしてらっしゃいます。

 登る。

 こっちに進んでください。

 登る。
(暫くはこんな道が続きます…)

ここは、斐太遺跡(弥生時代)でもあるのです。
環濠の跡なども見れますよ。

ようやく、東の登城道にやってきました。
国の指定の遺跡なので、植物の採取は禁じられています。

 5/10の場所。
雪のせいなのか、木がぐにょっと曲がっているのが、ここの木の特徴です。

まだまだ歩きます。
一枚前の写真を見ていただいてもわかるように、道がまっすぐではなくて、ぐねぐね曲がっています。
山を利用しているので、曲がっているのもあるかと思いますが、曲がった道にすることで、敵の侵入があった際に、攻めにくくしているのもあるそうです。

 いろんな花も咲いていて、なかなか楽しいです。
(ぜーぜー言いながら登っていますけどね…)


大堀切6地点。
堀切というのは、山の尾根などを堀で分断して敵からの侵入を防ぐ山城の防御手段です。
曲輪の近くにあることが多いです。

 向かって右手側に伸びる堀切…。ってわかりませんね(笑)

こんな感じです。
今は草や木が生えていますが、実際に城として機能していた時は、草木のない状態だったはずです。
(左手側に伸びる堀切の写真は、見てもなんだかわからないので省略)

 さらに進みます。
右側が高くなっていますが、小さな曲輪が点在していたらしいとのこと。
途中よじ上ってみましたが、薮で何が何やら…。
左側は、草木で見えませんが、斜面です。落ちたら危険。

 このあたりから、登りがきつくなってきます。
道も更にぐねぐねと。

上の写真の道もこんな感じで、直角に曲がったりしつつ…。

 こちら、大堀切5。
右に分岐しているように見えるのは道ではなくて、堀切です。
進む道は、左へ行く道です。

 右手へ伸びる堀切5。これはわかるかな。
落ち葉で埋もれていますが、結構深いです。

 左手に伸びる堀切5。

 こうなっています。
山の斜面に沿って、ずーと下まで繋がっています。


 平らな道を歩いたり…。

ちょっと坂になっている道を歩いたり…。

この上は、たぶん曲輪が点在していたのではないかと…。

 登ったり…。
 写真に代わり映えがなくなってきましたので、その2へ続きます。

 ちなみに、まだこの地図の堀切8にまで行っていません…。

 (2013.3.8記)











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