2011年5月5日木曜日

越後~弘前~角館 【其の十一】鮫ヶ尾城:肆

越後~弘前~角館 【其の十】鮫ヶ尾城:参 の続きになります。

※一気に残りをまとめましたので、記事が長いです。
 

前回 二ノ丸が見つけられなかったので、今度こそ!ということで、本丸を離れ、二ノ丸へ向かいます。

前回、二ノ丸に行き着けなかったのは「事前の調査の甘さ」「予想以上の薮」の二点からでした。
今回は、時期的に草も少なく、事前に地図も見てきたのでバッチリです!




せっかくなので、復習も兼ねて地図を。
地図上の現在地が下の写真になります。↓



実は、前回はここの写真の場所にまで出てしまったんですね。
で、手前の道を左に曲がってしまって、三ノ丸と大堀切と南登城路に出てしまいました。
正しくは、階段を上がったところ…写真の中央辺りの平らな場所(右に進むと腰曲輪)から左に入らないと二ノ丸に行けなかったという…。(薮ってましたけど)



気を取り直し、二ノ丸へ向かいます。
本丸の下をぐるりと歩きます。


途中、若干坂になっていたりする道を歩くと、開けた削平地が。


二ノ丸に到着です!
やったよー!来れたよ!








発掘調査の結果、曲輪の中央に建物跡が見つかったそうです。
陶磁器の破片なども出てきたそうなので、戦の際にここに篭ったのだろうか…と思ったり。
建物そばに、ちょうどいいサイズの石が集積されていたということは、石も武器に使われたと言う事ですね。(リアル戦事情)


二ノ丸は、本丸直下南西に位置するので見上げると本丸の桜が見えます。
本丸からは、木が邪魔なのと斜面が急で二ノ丸は殆ど見えないんですけどね。

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二ノ丸を離れて、三ノ丸に向かいます。
案内板が早速…


大堀切1です。が…。
「大堀切1」の看板の後ろ辺りに斜面が見えるのがわかりますでしょうか…。
かなり深く長い堀切です。



しばらく歩くと、開けた場所が見えてきます。三ノ丸です。
写真ではよく見えませんが、手前が一段下がっています。
歩いている道は当時も城の道だったよう。


実は、前回 二ノ丸がこの奥にあると思い進もうとしていた道らしきもの(笑)
ここは、二ノ丸と三ノ丸を区切る堀切なんだそう!
右手の高い方が、二ノ丸。左手が三ノ丸。


三ノ丸へは、その堀切付近から、上がります。
実際には、写真左手中央付近に虎口があって、そこから出入りをしていたようです。
発掘調査では、明確な建物の跡は確認できなかったとのこと。
よく聞かれる「炭化したおにぎり」はここからでてきたそうです。


三ノ丸直下に井戸があります。
わき出しているのかそれとも貯め井戸なのかわかりませんが、今だ水をたたえています。
三ノ丸の虎口からの道は、ここのすぐ脇に繋がっていたらしいです。


井戸から三ノ丸を右手に一枚。
ここは、城内道だったようです。
進むと南登城路、通称搦め手になります。


実は、南登城路を降りる際、虎口を通りませんでした(笑)
歩きながら「あれ?看板無かったっけ?」と探したのですが、どうやら手前の道を進んでました。
上の写真を見るとわかるのですが、道がつづら折りというのでしょうか、なんども曲がりながら登って(この時は降りていますが)いく形になっています。



↑ちょっとわかりにくいかもしれないですが、削平地がひな壇状になっているのがわかりますでしょうか。
この中を道が通っています。
南登城路は、他の登城路に比べて急ではありますが、麓からは早く上り下りできます。
その為の防備として、無数の曲輪の様なものを作ったのかもしれません。


白とびしてわかりにくいですが、横矢をかける様な感じで道の脇が高くなっている場所もちらほら。



無事に降りてきました。
麓の勝福寺周辺の館ノ内に、本丸からもっとも早く着く登城路はここ。 
最近では、この南登城路は、搦め手ではなく大手道だったのでは?という説もあるそう。

ということで、もう一度、南登城路を…。



登り始めてすぐの辺りは、城の外側が土塁?なのか高くなっています。
地形的にそうなのか、それともわざわざ削って道を作ったのか…。謎。
外が見れるようにしてあるのかわかりませんが、隙間も空いているところがあったり。


わかりにくいのですが、木が根っこから倒れています。
前回は、倒れていなかったと思うので、恐らくは冬の間の雪で倒れたのではないかと思います。
他にも木が折れていたりとか、豪雪地帯の山城は行くたびに少しずつ変わっている場所があります。



下りでスルーしてしまった虎口に到着。
一枚目の写真は、ちょうど虎口の入り口付近。
写真手前と奥に土塁の様に見える盛り上がりがあると思いますが、道はその間を通っています。もしかしたら、ここに城門の様なものがあったのではないかという話もあるそう。
二枚目の写真は、少し進んだ場所(看板のかかった木の位置で御推測くださいw)
かなり広い削平地になっています。



本丸付近に戻り、今度は北登城路へ。
ぐるーっと曲がりながら坂を下ります。



カタクリがこちらの道も見頃。


登り易いと言われている、北登城路ですが、途中大きく曲がる急な坂があって、下りは手こずります。
そして…写真の中央に見える白い物…雪です。
日当りの関係か、ここの雪は最後まで残っているそう。溶けた水で坂もぐちゃっとしていて滑りやすいのでご注意を。


前回、迷い込んだ道にまで降りてきました。
草が無い!!
折角なので、こちらの方からも「ちゃんと」登ります。




こちらの道は、歩きやすいゆるやかな坂道が続きます。 
カタクリを写真に収めようと、頑張っている方に遭遇。


と、出てくるのは、西の丸と米蔵の場所なのであります。
先にも書きましたが、折角なので上がってみました。


四枚連続で、曲輪の様子をお送りいたしました。
地面が見えませんでした…。


ということで、西の丸をぱちり。
左手に進む道らしき物があるのですが、倒木やら薮やらで進めません。
縄張り図によれば、大堀切があり、かなり広い削平地があるとのこと。


北登城路は、前回歩いたので、さくさくと。
鮫ヶ尾城に篭った、上杉三郎景虎が水を汲んだと言われている景虎清水。
その横の立て看板は新しくなっていました。


桜の花弁が散って綺麗。
どうやら、飲めるらしいのですが、飲んではいません…。
写真には撮っていませんが、この清水に降りて行く間にも、いくつもの削平地が連なっています。


イチゲの花でしょうか。
いろんな花が咲いていて、散策にぴったりです。


とても残念な上越自動車道。


管理棟の横まで戻ってきました!

ようやく二の丸が拝めました…
そして、本丸の桜!非常に見事でした。

今回、三つの登城路を歩いてみましたが、どの登城路も違った面白さと言ったら変ですが、工夫がしてあり、要害堅固な山城といわれているだけあるなと思いました。

帰りは管理棟に寄ってお土産を買ってから、麓神の宮温泉 かわら亭へ。
美肌効果があるとかで、お湯はしっとりぬるっと。(気をつけないと転びます(笑)
すっかり、だらだらして直江津にまで戻りました。

そして、弘前まで、寝台電車 日本海 で一路北へ!




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