2010.9.19
新潟のLIVEに絡めて行ってきました。
実は、中越地震の前に「稲穂が見たいね」と発作的に新潟に行き、時間があれば行こうか。と計画していた城です。
残念ながら、その時は、村上城しか行かなかったのですが、そんな暢気な事言える城でなかったですw
長岡泊、直江津で荷物を置いて、行きました。
御館は、意外と駅から遠くて、電車待ちでは無理と途中で断念。
まずは、鮫ケ尾城。
地図で見る限り、北新井が近いですが、タクシーを使うならば隣の新井駅へ。
帰りもタクシーならば、電話番号を貰って行くと良いです。
駐車場で降ろしてもらって、出発。
キャンプ場?があるのか、管理棟の前には洗い場とかあったり。
管理棟で、カメラとか出していたら、管理人のおばあちゃんに、お茶とか漬け物とか頂きました。重かったら荷物置いて行きなー。と言われましたが、一番重いのがカメラなので…。
ナナメっていますが、登城道案内。
管理棟からだとオレンジ色の北登城道が主流のようです。
ちなみにこの写真は、迷ってたどり着いた東登城道付近での案内板…。
(続きは写真が多くて重いのでご注意ください)
北登城道から行きます。
左に行くと、大きな池があります。帰りは左の道から…
途中で上越自動車道と出会います。
6/10の辺りで、景虎清水。
御館の乱で敗れ、鮫ケ尾城に落ち延びた、上杉景虎が使ったとか。
なんか、哀愁漂う…
運命の案内板。鮫ケ尾城には案内板が殆ど見当たりません。
最初の地図を見て頂くと、本丸に向かうのとは別に右に折れる道がありまして、それが「四の丸、曲輪」方面の道です。
うっかり、それに釣られて、その道を突き進んでしまったのですが、帰り際の管理人さん曰く「九月の頭に草刈りしたけど、雨降って途中で終わっちゃったんだよね。」 orz
道がない。いやあるのはあるんですが、見えない。薮をかき分け草をかき分けクモの巣を払いw
道と思っていた場所は地図を見ると…堀切っぽいなぁ…。
今考えると、蛇とかいたんじゃないのか…。下見えていません。
次回は、杖を持って行こうと思いました。
向こうに、案内板がある!と、かき分け…。
結局、四の丸は見つからず。腰曲輪。すこーし広めな平らな場所でした。
無事に到着。本丸です。
(途中で出会った人は、登り始めの所で、三人…多分皆さん登っていない。)
石碑と東屋が。
お昼ご飯の時間だったので、直江津駅で買った「くびきの押し寿司」を…
管理人さんは「あぶはいないと思うよ~」と言っていたのですが、クマバチらしきでっかい蜂がぶんぶん言ってました。東屋で…。
そんな中、妙高高原を眺めつつ弁当を食べる…。中々緊迫した空気でした。
くびきの押し寿司は、素朴な味わい。
若干天地人の名残。
春日山城も見えるらしいのですが、けぶっていて見えません。木が邪魔で見えないという話も。
海も見えるのかな。と、長レンズ付けてみましたが、見えず。
当時は、もっと木もなかったでしょうし、建物自体も建っていたので、鮫ケ尾城から春日山城が見えたはず。
落ちのびて、最終的には裏切りにあって自刃した景虎公。春日山城が見えたとしたら。切ない。
お寺?の石碑が埋もれていました。城内のお宮だったのでしょうか。
クマバチと本丸に別れを告げて、降りる訳ですが、新たな誘惑。
右側「三の丸、二の丸、井戸」の案内。
その前に、本丸側の大堀切。かなり深そうです。
細い道をもそもそと行くと、三の丸曲輪。結構広いです。
そしてやっぱり見つからない二の丸…(詳細な地図が欲しい)
あきらめて、三の丸から虎の口へ。三の丸から井戸が見えます。
虎口です。確か直角に曲がっていた様な…(あやふや)
実は、普通に道があると思って降りていたのですが、ここも道らしきものはあれども、かなり細かったです。馬が通れるのかな?という箇所もいくつか。
滑ったら、落ちる。もしかしたら、堀切だったのかな。
下りてみたら、南登城道でした。当時の正面口だったとか。10分くらいで下りてきました。
下りたのは良いのですが、地図がないので、迷子です。iPhoneのGPS機能でよろよろと歩いていたら、東登城道を発見。
地図によると、城を突っ切って行った方が、管理棟に行くのは早いと判断。(大概懲りていません)
畑から侵入。
東登城道は、落ち葉でふかふかしていて登りやすかったです。途中までですが。
このあたりは、遺跡も点在していて、環濠跡も。
管理棟の案内板を発見して、戻り…。次回は東登城道から登ってみようかなと。(カタクリの群生地でもあるとか)
御館の乱の後、落城してからは、廃城になっていたとのことで、なかなか登りがいのある城でした。
帰りもタクシーで…連れて行ってもらった、北新井の駅は、無人駅でした。
高田城は、諦めて、春日山城に行きます。
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