10月末の休日にTwitterのフォロワーさん主催の「棒道歩き」のオフ会に参加してまいりました。 「土の城指南」の著者の西股さんもご一緒で、あれやこれやと聞きながらの楽しいオフ会でした。
メインの棒道もですが、他にも城廻ありーの!しかも、北條氏も関係のある城です。ふふ!
一日目は、若神子城と棒道歩き。
若神子城は、ざっくり説明すると武田氏の城でしたが、武田氏滅亡後の北條氏と徳川氏の領地紛争(天正壬午の乱)の際、北条氏直がこの若神子城に、徳川家康が新府城に陣を構えた…らしいです。(結局、甲斐領は徳川氏のものになりました) と、言うわけで「甲斐なのに北條と関係あるわけないじゃん!」と言われそうな 若神子城ですが、関係のある城です。 (詳しくは、看板をご覧ください)
若神子城(大城)ですが、現在は公園として整備されているため、駐車場トイレ完備。その代償として、城の遺構らしきものがあまり見当たらないのが残念なところです。 駐車場から進むと左手に絶妙な凸凹が。腰曲輪か帯曲輪のような感じもしますが、謎。
進むと、道の部分が窪んだこれまた微妙な凹凸が…。
公園の広場手前には 「えーと…ちっさ!」と思わず呟いてしまったくらいの小さな薬研掘の跡。
発掘の結果、氏直さんの時期のものらしいとわかったとのことです。作っている最中にやめてしまったらしい。戦況が変わったのでしょうね。
広場へいく道の反対側、通常だと薬研掘の続きがありそうなのですが、堀跡らしきものはなし。とても中途半端ですね…氏直さん。
ですが、なぞのストーンサークル!しかも焦げている! なんかの跡?UFO呼び出し設備?とわやわやなるも、結局はわからず。
小さな薬研掘の小ささをわかっていただくため、当日メンバーのO氏入りの写真です。(芝生の幅は薬研掘跡と同じです。)
広場の向こうには、恐らくはこの公園のメイン…な…狼煙台。 残念ながら立ち入り禁止。イベント時にしか使わないのか、勿体ない。
川沿いに位置するこの城は見晴らしもよく川向もよく見えます。
なんと、富士山がよく見えます! 狼煙台を置くには最適。
徳川方も自軍の城もよく見えたのではないかと。
天正壬午の乱の際に徳川方本陣があったのが、現在の韮崎市にある新府城。(徳川方は紫囲み、北条方は水色囲み)
韮崎方面は殆ど徳川方が布陣しています。
若神子城はこの大城の他に、北・南とあるのですが今回はここのみの登城。
お城的には「うーん」という感じなのは、整備されてしまっているのと規模の小ささ…からでしょうかね。
特にキツい登りもなく(車は必要です)眺めもいいのでちょっと楽しむにはいい場所ではないかと思います。
ちょっとマニアックなあれこれもありましたが、その話はまた別の時に…
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